Talk by 2期生かおり
Talk by 6期生ちえ


Talk by 2期生かおり


私達チアリーディング部は最初はバトン部でした。 私達の2つ上か3つ上の代から、文化祭などの演技でバトンに付け加えて少しチアもやっていたそうです。 でも主にスタンツとダンスといった構成で今のようなコールなどはなかったようです。スタンツのレベルもエレベーターくらいだったと思います。 私達が入部したときは、曜日によってバトンの日、チアの日がありましたが、1つ上の先輩方(後のDEEPARS1期生)の間では「チアを本格的にやりたい!」という意見がまとまっていて、私達1年生にも話があり、みんなで話し合った結果、チアを本格的にやろうということでまとまりました。 しかし当時1年生だった私達にとってはバトンもチアも経験があまりなかったので、どっちがいいかはあまり意見がありませんでしたが、先輩方は1年間どっちもやってきて、チアの魅力に心が動かされたようです。


チアリーディング部に名前を変えるためには色々な条件が出されていました。顧問の先生の追加、大会への参加、どういうスポーツかの説明、安全に行うことetc…それらの問題をクリアし、初めてチアリーディング部の誕生となりました。しかし、条件をクリアするまでにはたくさん障害がありました。今ほどチアが知られていなかったため「チアって何?」っという人が多かったのです。ですから顧問になってくださる先生を探すのも大変でした。何もわからないからコーチも探す必要もありました。コーチ費も学校からは出なかったので部費から出していました。初代コーチは当時すごく強かった麻生高校の卒業生2名と、百合高バトン部卒で短大でチアを始めた先輩でした。


顧問も決まった、チア部もできた、いざ大会に出場!となった時にチーム名を決める必要がありました。1人1つずつ案を出して多数決で決まりました。最終案に残ったのは「リリーズ(もちろん英語ですが)」と「DEEPERS」でした。「リリーズ」は百合の花という意味なので百合高だけに「リリーズ」わかりやすくてよかったのですが、かっこよさにかけるので「DEEPERS」が勝ち残りました。その意味は熱望etc…。熱い心をもってチアに取り組もう!ということでした。しかし「DEEPERS」のスペルで「E」より「A」のほうが見た目がいいということで「DEEPARS」に変えてしました(笑)「チーム名だから正式なスペルじゃなくても大丈夫、自分たちで決めてもいいんだよ」というコーチのアドバイスもあったので。だから大会のパンフレットなどでもよく間違えられていました。


「タッチ」は私達の百合高チア部の伝統となったダンスです。もちろん今のDEEPARSにもちゃんと変わらずに受け継がれているんですよ。「タッチ」は野球応援で毎年使われる曲で5回裏のコート整備の時に踊ります。相手高校で5回裏に踊っている高校は意外と少ないので結構目立ちます(笑)そして百合高生にとってのチア部に対するイメージで1番印象が強いダンスでしょう。チア部以外にも踊れる人結構多いんですよ(それだけ知られているのはありがたいことですね☆/笑) しかし当初5回裏に踊るダンスは毎年変わっていました。私達2期生が1年生のときはJUDY AND MARYの「そばかす」でした。そして2年生になった時に候補に上がったのはSMAPの「SHAKE」と「タッチ」でした。それで多数決でタッチに決まりました。吹奏楽部とも曲について話さなければならなかったし、(吹奏楽部はSHAKEの方がよかったみたいで) 百生戦もあって早く振りを決めないと練習する時間がなかったので、わりとダンス担当だった[かおり]と[みずほ]が中心になって、練習が終わった後に作りました。覚える時間もあまりなかったのでわかりやすいものということで、前年のそばかすと前年だけ踊っていた野球応援をまぜて曲に合うように組み合わせていきました。二人でこのフレーズにはこのダンスが合う!とかいいながら組み合わせていって、出来たときはものすごく感動しました(笑)みんなも知ってる振りだったので覚えるのは早かったです。


ユニフォームのお話ですが、前は胸のところに「百合丘」とローマ字で書いてあるものでした。色は赤と青と白が使われています。だからチームカラーもレッド&ブルーでした。しかし、大会に出るには決められたユニフォーム会社のものしか使えなかったので、新しいものを作ることになりました。だから私達の代は2つユニフォームを持っています☆ちなみに野球応援のときは百合丘の方を着ていました。 ユニフォームは、カタログを送ってもらって、みんなで気に入ったものをいくつか出していましたがせっかく作るんだから他に似てるチームがないほうがいいということになり、はじめ今のユニフォームが候補になったのは形が気に入ったからで、トップスのすその部分とスカートが気に入って決定しました。それから、色は、最初はグリーンとイエローが候補になりましたが、百合高らしさを出そうということになってえんじ色を選びました。そしてその形に合わせて、色を決めて今度はカーディナル(えんじ色)とシルバーとホワイトで作ってもらいました。 チームカラーはオリジナリティーをだそうっといったわけで今の色に決まりました。なのでコールなどで当初「カーディナル&ホワイト」でしたが、言いにくい…というわけでいつしか「レッド&ホワイト」になっていました。ポンポンもそのときは材料を買って作ってたのでえんじ色は中々なくて大変でした。ユニフォームを決めたときはそこまで考えてはいなかったし、ちゃんと考えてからにすればよかったのですが、とにかく知識がなかったからので…。たしかに見た目には派手ではありませんが、大会で使われるあの青いマットの上であの色はよく目立ちます!今思えば他に似ているチームもいないし、百合高らしくてみんな気に入っています☆


残念ながら今は行っていませんが、百生戦で演技を行っている時がありました。というか、演技は百生戦後のバスケ部の対決でハーフタイムのときにしてました。(今は行っていないと思うんですが…)ダンスのみと、スタンツありで全部で2曲でした。今までやっていたものや、その時練習してるスタンツなどなので、わりと簡単な構成でやってました。その中にはワンデー(ワンデークリニックというチアの協会主催の1日安全技術講習会のことです)などで習ったダンスやスタンツを使っていました。


Talk by 6期生ちえ


私達6期生が入部した時は3年生の先輩5人だけでした。6月のSPRINGで3年生が引退してしまうので私達の代が入らなかったとしたら…廃部でした。。。しかし9人も入ったのでその危機は免れることとなりました。3年生が引退した後は1年生9人だけで活動していました。毎日の練習は先輩から引き継いだアップや筋トレ、スタンツに関してはまだできる技も少なかったから同じメニューになることもよくありました。それでも夏の野球応援のダンス練習や11月に行われていた高校生大会の練習であっという間に時間は過ぎていきました。この高校生大会は私達9人が初めて参加した大会でした!スタンツごとに曲が変わったり、ダンスが異常に長かったり…今思い出すとちょっぴり恥ずかしい思い出です。でも当時の私達は一生懸命頑張りました!!みんな今でもあのダンスは踊れるもんね(笑)同時にこの少し前からちょっとした意見の衝突や呼び出し(笑)、それから時間にルーズになったり練習に集中できなくなったりなど9人の気持ちがバラバラになっていたことも事実でした。冬になると「寒い!」という意見からアップにランニングが加わりました。そして春になった頃、私達は新しく10人目の仲間を迎えることになりました。その10人目が[ゆい]です。最初に[いずみ]から「DEEPARSにマネージャーとして入りたいっていう子がいるんだけど…」って聞いた時は驚きました。もちろん選手として入ってもらったけどね♪


私達も2年生になりました。新1年生5人が仲間に加わり、15人での新DEEPARSがスタートしました。ちょうどその頃、後にDEEPARSの運命を大きく左右する出来事が…。そう淳子コーチ・美穂コーチとの出会いです。2人のコーチは百合高先生の紹介で1度練習を見に来てくださることになりました。2人とも社会人チームでは現役のチアリーダーとして活躍されていると聞いていたので私達は緊張しながらも期待に胸を膨らませてその日を迎えました。しかし、私達の部活動前に行うピロティー掃除が終わる前に2人のコーチが来てしまい、大慌てで掃除を済ませてあいさつをしました。その時の2人のオーラはすごくて、私達は完全にビビッてたよね…。2人のコーチが見ている中、いつも通り練習を始めました。でも、コーチは少しみた後、「今日私達に練習を任せてもらってもいいかな?」と言われ、コーチの指導のもと練習を行いました。次の日から、私達は全員で2人のコーチに正式にコーチになっていただくか話し合いました。色々な意見がありましたが、前日の練習で今までにない充実感を得られたのでコーチを迎えることに決定しました。練習は厳しくなると思うけど頑張っていこう!!ってことになったんだよね。練習ではアップが大きく変わりました。以前のランニングはなくなり(笑)エアロビ・筋トレ・モーション・キック・ジャンプetc…アップだけで1時間以上費やしていました。それから1番大切なCheer Spritも学びました。特に先生をはじめとするDEEPARSを支えてくれる全ての人達への態度、部長・副部長のあり方・仲間同士の関係など今まで私達が気づかなかったことをたくさん教わりました。5月には2年生10人で選抜大会に出場しました。入ったばかりだったので会場でDEEPARSの演技の音楽操作を担当する予定だった[ゆい]も選手として出場することになりました。辛かったと思うけど、人一倍努力してうまく乗り切ってくれたね。よく頑張りました。


私達が2年生の6月、最大の事件が起こりました…。それはSPRINGでの出来事です。私達は当日の練習も集中力が欠け、そのまま本番を迎えてしまいました。本番の演技は自分達なりに楽しくできたと思っていました。が…、コーチを交えた反省会の時、事件は起きました。オープニングの全員のダンスのビデオを見て「お遊戯じゃない?」と言われてしまいました。本番までの練習の事、反省会で話し合うべきことなどをお説教されました。コーチ達が帰ったあと、反省会の反省をしました。そこで私達にとって重要な「脱・お遊戯」という目標が生まれました!この頃から私達の気持ちも少しずつまとまってきたんじゃないかなって思うんだ。そして8月には淳子コーチは出産のためコーチを辞めてしまうことになりました。本当にお世話になりました。そして美穂コーチの指導のもと、DEEPARSは練習に励みました。ここでDEEPARSにまた変化が!クリスマスライブの後に当時1年生だった[みなこ]がメンバーに加わり2月の高校生大会は初めて16人のフルメンバーで出場しました。結果は35チーム中17位と自分達でも成長の感じることが出来ました。3月には当時1年生だった[るみ]が加わりDEEPARSもにぎやかになりました。


2002年5月、私達を感動の渦にまきこむ瞬間が!歴代初の準決勝進出です。実はこの大会には16人で出場する予定でしたが大会3日前に[みなこ]が足を痛めて欠場することになってしまいました。みんな動揺して焦っていたけど、構成係だった[ちか]&[ゆい]が部室にこもり、フォーメーションを考え直したり、部長の[ちえ]を中心にみんなで一つの目標にむかって協力しあいながら練習に励みました。コーチにも是非練習を見てもらいたかったのですが、都合が合わなかったため、私達だけで考え3日間を乗り切りました。辛い3日間で不安な所など山ほどあったけど、大会に出られなかった[みなこ]のためにも、支えて下さった美穂コーチ・淳子コーチ・白沢先生のためにも絶対成功させたかったんです!!そして当日、リハーサルでは初のノーミスでテンションは上がりまくり!その勢いで規定も満足のできる演技ができました。若干1名[S子]規定にはリハーサルがないのに、リハーサルと勘違いして本番に望んだ子もいましたが…(笑)そしていよいよ本番。本番の演技は私達のできる最高の演技ができたと思います。本番までの努力、私達の気持ちが一つになったことが準決勝進出につながったんだと思います。進出者発表の時も1番最後にDEEPARSの名前が呼ばれてみんなでうれし泣きしたね。次の日の準決勝のリハーサルは反面リハーサル。もちろん初めての経験だったよね。反面リハーサルはなんとレグラスさんの選手席の目の前でやったね。本番よりも緊張したという意見を多数耳にしました。予選の時もその日の本番も見事ノーミスでした。たしか順位は全国26位だったかな?


こんな感じで6期生の代は幕を閉じました。私達は現役の間に、チアの技術だけではなくたくさんのことを学びました。1番感じたことは私達全員チアが大好きだということ。意見が合わなくてまさに「十人十色」だったけど、やっぱりお互い信頼して思いやりを持っていたから脱落者を出さずに引退できたんだと思うんだ。だからこうして今までも毎月集まってるし(笑)もちろん辛かったこともたくさんあったけどこの10人がDEEPARSで出会えたこと、仲間になれたことこそが最高の出来事だと思います。






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